イントロダクション     〜はじめに。風色珈琲店はこんな店です。〜
     
     


薄鈍色の私鉄に乗って二駅も行けば大きなビルの建ち並ぶ街があり、
ひっきりなしに人が行き交う。
この町も駅の向こう側であるならば、そこそこの賑やかさなのだけれど
こちら側、山沿いには古くからの町並みが残り、時間の流れすら緩やかなようで。


風色珈琲店へ、いらっしゃいませ。


駅を出て旧道沿いに少し歩いた所にある一軒の珈琲店。
通りに面した小さな三角窓にはアイビーやポトス。
落ち着いた色の煉瓦をあしらった入り口のドアの脇にはベンジャミン。
カロン
ドアを開ければ少しだけ暢気なカウベルが響いて
「いらっしゃいませ」
やわらかな声が聞こえるはず。
カウンターとテーブル席が少しだけの大きくはない店。
音量を絞った品の良い音楽が静かに流れる店内には
薄飴色のチェリー材のカウンター席が5つ、
通りに面した窓に沿って同素材の4人掛けのテーブル席が3つ。
明るすぎず、さりとて暗すぎず、穏やかな空気には緑がよく似合う。
白のシャツにダークブラウンのギャルソンエプロン。
やわらかく有りながらも凛とした雰囲気が、どこか微かに異国の景色を思わせるマスターは
一見したところ、おそらく青年と言える年の頃であろうが、実際の判断は難しい。
その身に纏う日向のぬくもりに似たふわりとした空気感や、
カウンター越しに見せる、無駄のない流れるような所作などには
静かで確かな時間の積み重ねを感じさせられもするが、
時折覗かせる少年のような眼差しも、ひどく彼には似合っていて。
風色珈琲店
小窓越しに優しい日差しが注ぐこの店が
実際いつからあるのか、はっきりとは誰も知らない。
いつの間にかに此処にあって、街道沿いの古い町並みにするりと馴染んでいる。
それでもそう、例えば
現実と非現実の狭間、そんなものがもしも存在するとしたならば
この店は間違いなく、その境界線上にあって
ひょっとしたら明日には誰にも気付かれないままに
消えて無くなってしまっているのかもしれない。
そんなことをつい思わせてしまうのは
あまりに穏やかなその佇まいのせいなのだろうか。

「さて、と」
やや茶掛かった癖のない髪が白皙の額にさらりと揺れる。
カウンターの奥からは微かにサイフォンの音。
珈琲はもちろんのこと、
時折気まぐれでさり気なくメニューに追加される焼き菓子を楽しみに
足を運ぶ人も少なくは無いのだ。
今日はちょうどそんな日だったようで、メニューの横に小さなカードが添えられた。
『ジンジャーのショートブレッド』
ほっそりとした指先がカードを小さなクリップで留めると
彼は店先のボードをくるりと返す。
“open”

表通りにあるわけでもないし、大きな看板があるわけでもない。
どちらかと言えばひっそりとした店構えであるのにも関わらず
いつでもそれなりに忙しいようで、だけれども決して煩いわけでもなく・・・。
とりわけ少し疲れた気がするような時には
カウンター越し、マスターの作り出す穏やかな空気に
誰もがほっと息をつくのだ。


もしも何かに疲れたり、
ちょっと一息つきたくなった時には
どうぞここに、お立ち寄り下さい。
カロン、
優しく響くカウベルの向こうでは
柔らかなマスターの声と、薫り高い珈琲が
きっとあなたを待っています。