scene 3     常連さんとマスターと (その1)    
       
       
午後の珈琲店で、カウベルを鳴らしたのは常連の老婦人。
天気が悪くないのならばいつも、散歩の途中で立ち寄ってくれる彼女だ。
「いらっしゃいませ。こんにちは」
焼き菓子がある時はそれと、珈琲はいつでも主人にお任せの彼女は
僅かに微笑んでお決まりの奥の席に足を向けた。
後ろ姿に視線を送り、マスターは少しだけ小首を傾げる。
話らしい話をしたことは実は殆ど無いけれど、
毎日のように会っている彼女の肩の辺りに
隠しきれない何か、やるせなさようなものが見えた気がして。
カウンターに入る手前、耳が拾ってしまったのは小さな溜息。
詮索するつもりはないけれど・・・。
「お待たせしました」
左手の上のトレイからほっこりとした優しい白味のカップをそっと彼女の手元に置く。
「どうぞ」
僅かに驚いた様子の眼差しに
「差し出がましいようですが、少しお疲れのようでしたから」
いつもとは違う目の前の光景の理由に小さく言葉を添えれば
「・・・ありがとう」
眉尻を提げ、彼女は笑った。
「こちらでよろしかったでしょうか?」
小さな首肯に静かに黙礼をして、マスターはカウンターへ戻る。
生憎今日は焼き菓子はないけれど、甘いものが嫌いではないと知っている彼女の
少しでもその疲れが取れれば良いと、
彼が用意したのは珍しくもアレンジコーヒー。
カフェ・マンダリーナ。
そっと浮かべたクリームに微かなシナモンとオレンジピールが優しく寄り添う。
「ごゆっくりお寛ぎ下さい」
スプーンが珈琲をかき混ぜる小さな音が、店内を流れる音楽に溶けて
静かにカップを傾ければ、ぬくもりが緩やかに彼女を包んでいく。